「比較文学」という学問は、誤解を前提としています。誤解が、その文化の特徴をよく教えてくれるからです。
私は、主に19世紀末以降のイギリスで、アジアがどう誤解されたのかを専門にしています。そして日本がその誤解をどう受け止め、反応し発信したのかも研究しています。文化や物語は、影響を与える方も重要ですが、それを半ば無意識のうちに作り替えてしまう受け手も同じくらい重要です。その一例が宝探しの物語です。
19世紀後半、イギリスでは未開の地に眠る財宝を探し出す冒険小説が流行しました。ハガードの『ソロモン王の洞窟』がその典型です。これらの小説は単なる娯楽ではなく、植民地支配を正当化するものでもありました。アフリカの奥地に聖書に由来する宝があり、その場所と価値を解き明かすことができるのは、自分たちイギリス人だけだ、という物語でもあるからです。この物語は、戦前の日本で、作家の南洋一郎がその代表ですが、山田長政や義経の宝が北方や南方にあるという形で書き直されました。
世界遺産と19世紀からの難問、「宝」を定義するのは誰なのか
貴重な宝が現地の人々にはそれと知られずに眠っている。こんな図式は、世界遺産にも受け継がれています。ユネスコが最初に世界遺産を制定したのは、エジプト政府のダム開発で水没する遺跡を保存するためでした。開発や混乱で失われる文化財を保護することはもちろん必要です。ただ、何が人類共通の遺産なのかを誰が判断し、どこで管理するのかは、19世紀から変わらぬ難問です。
ハガードの物語も形を変えて受け継がれています。例えば映画『ブラックパンサー』。ここでは逆に、西洋人がアフリカに眠る財宝や文明を勘違いして管理してきた図式が強調されています。大英博物館そっくりの展示室から「宝」を奪い取る場面はその一例です。
このように、物語の受け渡しは必ずしも一方通行ではありません。誤解や衝突を引き起こしながら、新しい意味や視点が追加されていきます。比較文学は、そんな「宝」が誰にどんな形で引き継がれ、仕立て直されているのかを明らかにする研究でもあるのです
一般的な傾向は?
- ●主な業種は→教育・学習支援、公務、情報通信業
- ●主な職種は→教員、公務員、マスコミ
- ●業務の特徴は→広義の意味で教育と研究
分野はどう活かされる?
多種多様な主題を調べ、それについてわかりやすく説明したりまとめたりするところは、学んだことを活かしているといえるでしょう。
映画『シェイプ・オブ・ウォーター』では、登場人物が本質を変えず、「水際」とも言うべき第3の場所で共存する結末が示唆されています。ドラマ『愛の不時着』でも、異なる世界に属する2人が自分の居場所を犠牲にせず、パートナー関係を築きます。進路や家族をめぐる選択について、物語は現実の制度の遥か先を行く可能性を見せてくれるのです。そしてこれらの物語は、ゆっくりと現実も変えていきます。皆さんもそんな可能性のある物語を見つけ、読み解き、あるいは作り出していってください。
大学の学部から比較文学を学べるところはそう多くはありません。日本語でも英語でもたくさんの物語や研究に触れることになるので勉強量は多くなりますが、現代のポピュラーカルチャーを含め、幅広い研究を行うことができます。これは文学部全体にいえますが、大学院に進学する学生も多く、修士号を取得後、一般企業に就職する学生が大勢いるのも特色です。
興味がわいたら~先生おすすめ本
怪異と遊ぶ
怪異怪談研究会:監修
本書の印象的な表紙が教えてくれる通り、私たちが怪異や怪談に惹かれるのは、怖いもの見たさからといっていいでしょう。それはまた、本当に怖い怪異現象は起こらないはず、と心のどこかで思い込んでいるからでもあります。となると、怪談や妖怪を娯楽として楽しめるようになったのは、科学が発展した近代以降のことと言えるかもしれません。実際、時代やメディアによって、古代からあったはずの怪異怪談も姿を変えていきました。例えば透明人間。かつては恐怖の存在でしたが、近代化による匿名性の広がりと、インターネットの加速化により、社会的に存在感のない人として描かれるようになりました。本書は、こうした身近な例を通してメディアとコンテンツの関係を考える良い機会を与えてくれます。 (青弓社)
〈こっくりさん〉と〈千里眼〉・増補版 日本近代と心霊学
一柳廣孝
有名なこっくりさん、実は明治時代に西洋のスピリチュアリズムを参考にして生まれたそうです。一方、怪奇映画で有名になった千里眼事件。この明治末期の騒動で、こっくりさんのような心霊現象も、いつか科学によって解明されるはず、という期待が失望と失笑に変わったといいます。何気ないものに注目することで、著者は西洋の衝撃とそこで独自に起こった転換点を見事に浮かびあがらせます。ちなみに昔からの伝統には新しく作られたものが多いとは、ホブズボームという歴史学者が指摘しています。彼はまた、ヨーロッパで19世紀が終わったのは第一次世界大戦からとも指摘して話題になりました。興味深いのは、本書の著者がホブズボームのことを知らずに、それに呼応する事例を本書で明らかにしたこと。こんなふうに、見えない枠組みに従って、私たちは同じ問題に取り組んでいることがよくあります。ちょうど漫画『チ。』にも似て、孤立して見える学問も実はつながっていて、つなげることができるのです。 (青弓社)
ジャポニスムを考える 日本文化表象をめぐる他者と自己
ジャポニスム学会:編
日本の浮世絵がフランスで流行して、印象派にまで影響を与えたという話は聞いたことがあるでしょう。本書は、そんなジャポニスムという現象の舞台裏と、それを日本側がどのように受け止め、反応したのかを論じた12の章を収めます。そもそもなぜフランスだったのか。そして以前から浮世絵はヨーロッパで知られていたのに、なぜ19世紀の後半になって注目されたのか。相手側の思惑を知ると、その素晴らしさだけで浮世絵が人気になったわけではないことがよくわかります。そしてそんな浮世絵人気に困惑しつつも、外貨は稼ぎたい日本側の事情も見えてきます。そんな事情を知ると、21世紀になって新たなジャポニスムを日本側から自ら売り込み始めた意味や理由も、なるほどと実感できるはず。関係ないと思っていた外国や過去も、それを学んでみると、現代を広い視野で考えることにつながってくると気づかされます。 (思文閣出版)
絵画の臨界 近代東アジア美術史の桎梏と命運
稲賀繁美
辞書みたいに分厚い本ですが、図版や注記が多いので、気になったところから好きなように拾い読みしするだけでも十分、楽しめます。導入としては、例えば補論。歴史の教科書に掲載された絵画の分析です。名画だからと覚えさせられる絵が、いつどのような経緯で描かれ、なぜ名画になったのか。そんな事情を知ると、実は教科書の記述と衝突していることがあるのがわかります。絵と文章の組み合わせから生まれる調和と不協和音の分析は、漫画を考える時にも大変役に立ちます。こんなふうに、本書は当たり前だと思っている絵画とその見方が、どのように西洋からアジアに持ち込まれ、それがアジアのなかでどんな反応や反発を引き起こしたのかを、壮大なパノラマにして見せてくれます。ちなみにこれは三部作の最後。フランスでの「名画」誕生の舞台裏についての『絵画の闘争』、そしてジャポニスムを生み出したフランス画壇の事情と誤解についての『絵画の東方』もぜひ。 (名古屋大学出版会)
女の子がいる場所は
やまじえびね
日本やインドなど5つの異なる国の10歳の女性が、それぞれ挫折や選択を強いられる短編集です。辛い話が多いですが、そんな理不尽な世界を変えようとする彼女たちの決意がつながってゆくところには、希望を感じさせられます。どの国の「女の子」もみな夜空を見上げ、月に思いをつぶやくのはその一例。それだけに白いノートと空が印象的だった「はじまりの日」が際立ちます。彼女たちが鉛筆を手に何を書こうと膨らませた期待は、黒の背景に銃を持った男に押しつぶされます。シェヘラザード姫が登場するのも象徴的。彼女は暴君に対して1001夜、物語を話すことで彼を改心させました。この物語が「女の子」だけに向けて描かれていないのは、物語も言葉も、そしてそれを支える学問も、いつか社会の暴力と差別を変えてゆくというのが、作者自身の思いだからなのかもしれません。鉛筆を持って白いノートに向かう皆さんを励まし、勇気づけてくれる物語でもあるのです。 (ビームコミックス)

